2012年4月11日水曜日

浦賀屋宝庫守ファイル: 映画・テレビ


2011.1.18
 The Subject Is Jazzに毎日取り組んでいるのだが、語りを聞き取るのは骨が折れる。おかげで、ここのところ、記事を載せる間隔が粗くなってしまっている。まあ、辛抱だ。地道にやっていこう。
  今日はこのクリップ。「Swing, Part One, from "The Subject is Jazz" 」―Tube投稿者がこの題で掲げているビデオだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆
 さて、Tube投稿者がビデオ冒頭に埋め込んでいる「回顧談話」と、「本番」(1958年シリーズ番組のビデオ・クリップ)の語りの冒頭部を掲げることから入ろう。「回顧談話」とは、Billy Taylorが、ピアノの向こう側にいる白髪/白ひげ老人と語っている部分のことである(この人物は、Tommy Flanagan/トミー・フラナガン/ジャズ・ピアニストか)。「本番の語り」とは、進行役を務めるギルバート・セルデス(Gilbert Seldes)(*1)のそれである。

■冒頭回顧談話
***************************************
(Billy Taylor)
  「ザ・サブジェクト・イズ・イズ・ジャズ」(
The Subject Is Jazz) -----覚えていますか。
(白ひげ)
  覚えているとも、「ザ・サブジェクト・イズ・ジャズ」。
(Taylor)
  「ザ・サブジェクト・イズ・イズ・ジャズ」は、テレビで初めての教育シリーズ、シリーズ番組によって啓蒙していくという番組で、ニュ―ヨークの全米教育テレビ(National Educational Television)の制作によるものだ――初回の制作についていっていることだが。

 私は、感動を以ってこの番組に取り組んだことを覚えている。というのは、この番組が、「ジャズ」というものを初めて真剣な考察の対象にしたものだったからである。これまでの「トーク番組」にそういうものはなかった。そういう狙いから、この番組は、人々に観てもらう日として、敢えて土曜日を選んだ。人々がフットボールを観たり、他にもいろいろ、例えば、アメリカのクラシック音楽番組を観たりして過ごす土曜日にぶつけたわけだ。

 番組では、デユーク・エリントン(Duke Ellington)を最初のゲストとして呼んだ。アラン・コープランド(Alan Copeland)も呼んだし、音楽家以外の人にも数多く出演してもらった。ベン・ウェブスター(Ben Webster)にも、ウイリー・ライオン・スミス(Willie "The Lion" Smith)にも来てもらったし、とにかく、ジャズ音楽の、異なるスタイルを代表するような記念すべきさまざまな人々に出演してもらった。

     ―― 本番(1958年番組)クリップ始まる ――          
The Educational Television and Radio Center presents,
      "The Subject
            Is
           Jazz."

        With Gilbert Seldes,
           This program,
              "Swing."

     With Our Guest, Mr. John Hammond.

And now, our host: Critic and chronicler of lively arts, Gilbert Seldes.

           フィルムのナレーション
教育テレビ/ラジオ・センター提供、
「ザ・サブジェクト・イズ・ジャズ」(「ジャズを語る)。
 進行役、ギルバート。セルデス(*1)。
  本日の番組は、
  「スイング」について。
ゲスト出演 ― ジョン、ハモンド氏(
*1)。

 さて、進行役、評論家、大衆芸記録家であるギルバート・セルデスの登場だ。


****************************************

■本番クリッブの語り
  (以下、進行役、Gilbert Seldesの語り。「(S)」は、"Seldes"を表わす)
(S)
 たまに、人々がジャズについて語っているのを聞くことがあるが、黙って聞いていると、まるで、自分が「不思議の国のアリス」になって、姿見(鏡)を通り抜けて向こう側の世界に行こうとしているような錯覚にとらわれる。
 「ホワイトナイト」(White Knight)がアリスに、これから歌を唄うといい、歌の名前は「ハドックズ・アイズ」(ハドックの眼、Haddock's Eyes)だと語ったとき、アリスが「ああ、それが歌の名前なのね、そうでしょう」というと、ホワイトナイトは、「いや違う、それは『主義』の名前だ、曲名はまったく別の名前だ」と答えた(*2)。


裏書は、英語建設法の下で何を意味するのか

 さて、今日は、一般に「スイング時代」と呼ばれている時代のジャズについて語る。ここで、「スイング」とは、「主義」のことであって、その正体はジャズである。「スイング」ということばの定義だが、無難なところで、次のようにいっておこう。
 ――「スイング」とは、ほぼ1935年から1945年までのあいだに見られたジャズ演奏に関する一定の態様について命名された言葉である――

 「スイング」では、アクセントは、2小節フレーズのそれから、
 ――これがその見本だが、
     (Billy Taylorがピアノを弾いてみせる)
4小節フレーズのものに変わった。
 ――ちょうど、このように。
     (Billy Taylorがピアノを弾いてみせる)

同時に、ハーモニー(和音)も、3音構成和音から、
  ――これが、そ見本だが、
     (Billy Taylorがピアノを弾いてみせる)
4音ないし5音構成の和音に変わった。
  ――このように。
     (Billy Taylorがピアノを弾いてみせる)

そして、基本ビート(拍子、拍)は、ツービート(2ビート)から、
  ――それは、こういうビートだが、
     (Billy Taylorがピアノを弾いてみせる)
フォービート(4ビート)に変わった。
     (Billy Taylorがピアノを弾いてみせる)

  さて、当時の音楽がどんなものだったか、もっと分かるように、ビリー、演奏の支度をしてくれ。(テイラーへの語りかけである)

 話を戻して、ジミー・ランスフォード(Jimmie Lunceford)(画像)の.....(曲名?)..... を聴くと、それは、かの有名なSy Oliver(サイ・オリバー)の編曲によるものであるにもかかわらず、依然として初期のジャズのツービートの雰囲気を漂わせている。そこでは、サックス陣とハイノート(高音)ブラス陣が独特のフレーズを奏でる。"For Dancers Only"(フォア・ダンサーズ・オンリー)でそれを聴いてみよう。

           ―― For Dancers Only 演奏 ――

[語りの続き]
  いま「フォア・ダンサーズ・オンリー」を演奏したメンバーの多くは、最初のうち、「スイング」バンドで演奏していた人たちである。
  通常、スイング・オーケストラには13から17人の奏者がいる。人数が多くなると、問題点もそれだけ多くなる。人数に伴うこの問題点は、ジャズシーンに登場する新たな人物によって解決されなければならなかった。
  この人物は、実際には、それまでにも、ビッグバンドが盛んになる前だが、目立たない存在ではあったが、存在していた。その人物とは、編曲者である。
  編曲者は演奏者と協議しながら、演奏上の諸々の材料を組成していく。そのうえで、バンドリーダーと協議して.........ソロイストのために即興演奏(インプロビゼーション)のためのバックグランドを提供する。編曲者は、「セクション」というものを使用する。「リード」と「ブラス」がそれで、相互に……。画面に表示されているのは(譜面)、何のために編曲者を雇うかという答えを示す見本である。

 さて、おそらく、今日、ここには、バンドリーダーもいないし、編曲者もいない。にもかかわらず、大勢が一緒に演奏している。化学の世界では化学反応のために触媒が使用される。バンドと編曲者の組み合わせは......だから、反応は化学におけるそれとは少し違う。

 ジョン・ハモンド(John Hammond)という名前だが、いまテレビの前のみなさんが聴いているのは、"John's Idea"(ジョンズ・アイディア)という曲だ。スイングの王者の一人、カウント・ベイシーがハモンドに献じた曲である。

そうだね、ジョン。
        ――John Hammondが画面に現れる――

*******************************************


養育費を借りている無責任な父親

投稿者による演奏メンバー・データ
Billy Taylor, Piano、Eddie Safranski, Bass、Mundell Lowe, Guitar、Ed Thigpen, Drums、
Buck Clayton, Trumpet、Carl 'Doc' Severinsen, Trumpet、Carl Pool, Trumpet、Jimmy Cleveland, Trombone、Benny Morton, Trombone、Tony Scott, Alto Sax and Clarinet
Sid Cooper, Alto Sax、Ben Webster, Tenor Saxophone、Paul Quinichette, Tenor Saxophone

[語りの続き]
      ――John Hammondが画面に現れる――

(H)そのとおりだ。元々の曲名は、"I May be Wrong with John's Idea"というものだ。

(S)アー、おそらく、これは、君がレコード制作/編集などをやっていたころの話題になるが、その時代に遡って、君が「スイング」を創り出したときの話、つまり、君がフレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson)とベニー・グッドマン(Benny Goodman)を引き合わせた時のエピソードを、「語るとしたらこれだ」というエピソードを語ってくれないか。

(H)そう、そうだな、私は、ある意味で、フレチャー・ヘンダーソンは、あの時代のバンドのなかで一番自由で想像力に富むバンドだと思っていた。アー、ほら、フレッチャー・ヘンダーソンは、長年、「ローズランド」ボールルーム(Roseland)でバンドを率いていた。そして、アー、バンドリーダーとして、彼は、バンドが持っているかぎりの即興ソロ資源を有益に利用し尽くせる人物だった。そして、編曲の面では「ガッツを入れて演ろう」というものだった。だから、アー、だから、コールマン・ホーキンス(Coleman Hawkins)や、ベニー・モートン(Benny Morton)、ジョー・スミス(Joe Smith)・・・・・・。
     *ボールルーム(ballroom)とは、文字どおり「舞踏会用の部屋」、ダンス劇場、ダンスホールのことで、
      ホテルや劇場などに設置されているものが多い。

(S)ベニーモートンはあそこに立っている・・・・・・。

(H)そうだ、そう、いる・・・・・・。そして、ある時期には、ルイ・アームストロング(Luis Armstrong)さえもあのバンドにいた。

(S)そうだ。

(H)アー、1934年に、ベニーグッドマンは、彼自身、このスタジオで、正にこのスタジオで演奏していた。NBC(ラジオ)の「レッツ・ダンス」(Let's Dance)という番組で、週一回放送の予算だ。彼とフレッチャーが一緒になったのは、ある意味で、あの番組がきっかけになってのことだった。そして、私が思うには・・・・・・

(S)君が、一緒にした。
(H)うん、まあそういえるかもしれないが・・・・・・
(S)すまぬ、進めてくれ。

(H)オーライ、そこで、アー、私の役割についてだが、ベニーとフレッチャーの両方に対して、次々と現れてくるポップス(流行歌)に対して、どういう演奏で臨むべきかということを示唆したのだ。つまり、スイングさせなければいけないと提案した。言い換えれば、個々のソロイストに、以前のニューオリンズの街角やバンドスタンドでみられたように。

(S)それは、出版社に対して、楽譜上に記載するように指示するというようなことになるのだね。
(H)そのとおり。そうすることについて、出版社と揉めたりしたんだ。しかし、バンドはすぐに中止されることになってしまったので、私は失望した。
 スイング時代はこうやって生まれてきた。
 
(S)-------私も、フレッチャー・ヘンダーソンバンドはよく知っているのだが、ポップスだけでなく、ニューオリンズ・ジャズ曲を素材にして新しい編曲を提供する仕事もした。
そこで、次に、フレッチャー・ヘンダーソン編曲による「キングポーター・ストンプ」(King Porter Stomp)を演奏してもらおう(*3)。
  それを聴くと......。彼のスタイルを通じての大きな特徴の一つは、ブラスとサックスを、あたかも喧嘩をしているように噛み合わせるやり方だ。それまで見たこともないようなスタイルだ。それが、アー、「キングポーター・ストンプ」の最終コーラスで現れる。


                    ――King Porter Stomp演奏――


カナダの市民権を得るためにどのくらい

[語りの続き]
            ――King Porter Stomp演奏の後――
(S)あの当時の"Red Peppers" (レッド・ペッパーズ)の誰かが、…..スイング……大学に行った者のうちの誰かが、キャンパスでスイング大演奏会が......
                  (
聴き取れず)
 ――Let's Dance を流しながら、キャンパスでの演奏会の映像。ファンがグッドマンに花束を手渡している――

     *Red (Hot) Peppersとは、ジェリーロールモートン(末尾の脚注参照)が率いていたバンドの名称である。

 映画館がスイング・バンドを呼び、若者も、さほど若くない層も、廊下で踊りまくる。ステージの奏者に・・・・・

 二段階の疑問が浮かぶ。
 すなわち、人々はあちこちの廊下で踊りまくる。「スイング」の朗らかさと解放感によって、ある意味で、ブラックボトムの.......ダンスがやってきたようだ。
                  (聴き取れず)
*「ブラック・ボトム」(Black Bottom dance)とは、1920年代に流行ったニューオリンズを発祥地とするダンスのことである。Jelly Roll Mortonは"Black Bottom Stomp"という曲を作曲しておりよく知られている。Red Hot Peppersによるその演奏も有名である。

 しかし、「スイング」が始まる10年前に、ジャズ自体に、ある段階(現象)が起きていた。ジャズ愛好家も大勢いるにはいたが、1925年から1930年にかけてジャズを耳にした人のほとんどは、ジャズの基本的特徴を聞いていない。ジャズはスイート・ミュージックの下で影の薄い存在になっていた。
人々はジャズの……について語るが、しかし、依然としてジャズは進行を続けている。そこで、新たな疑問だが、ジョン・ハモンド、ジャズはどこで保存されてきたのか。

(H)そうだな、ラジオで保管されてきたのでないことは確かだ。なぜなら、あー、あー、ラジオは、アー、1957年までは、テレビのような態様でジャズを創り上げることを避けてきたからだ。

(S)(笑い) 1957年か、なるほど。

(H)そう、そうだ。しかし、フォノグラフ(蓄音器、レコード業界)があった。優れたジャズ演奏を残してきたのは、この業界だけだ。しかし、アー、1933年までに、レコード業界は、二つの敵の犠牲になっていた。不景気とラジオだ。

(S)そうだね。

(H)そう。しかし、デユーク・エリントン(Duke Ellington)、ジミー・ランスフォード( Jimmie Lunceford)、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)、チック・ウェブ(Chick Webb)といったバンド、――このほかにも一握り程度あるが――、こういったところを除いては、現在、ジャズといえる音楽は多くない。
  それとともに、優れたソロイストたちが、ある種、自信喪失に陥っている。そのため、そういう連中のなかにはジャズ・アーティスト資金で・・・・・・。
  そんなことで、いまでは、人々が「ジャズ」と呼んで流行っているのは、.......や、グレン・グレイ・カサロマ(Glean Gray Casa Loma)バンドみたいなのばっかりだ。
  大衆は、利口じゃないと思うね。

(S)ジョン、君はああゆうのは好きじゃないんだね。

(H)そう、そうだ、あまり好きじゃない。
(S)続けてくれ。

(H)アー、しかし、グッドマンやドーシー・ブラザーズ(Dorsey Brothers)の成功によって、ジャズ界でも競争が激しくなり、若い聴衆は奏者を意識するようになった。名前まで記憶するようになった。以前聴いたバンドのサイドメンの名前を覚えているのだ。
  1937年までには、私はそう考えるのだが、この年までに、ハリー・ジェームス(Harry James)、アーティ・ショウ( Artie Shaw)、ベニー・バリガン(Benny Buligan)、ジャック・ティガーデン(Jack Teagarden)、その他大勢が、養った人気を携えてバンドを飛び出し、独立した。

 ところで、グッドマンが現れるまで、ジャズ・シーンは、あー、ギルバート、そこは、絶対的な、厳格に人種区別された世界だった。

(S)そうだな。


(H)あー、そして、あー、ベニィが、まず、テディ・ウイルソン(Teddy Wilson)を入れたトリオを編成することによって、その掟を打ち破った。次いで、ライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton)を加えたカルテットだ、そして、最後に、ビッグバンドにも、セクステットにも黒人を入れた。
 他のバンドリーダーもこれに倣ったので、いまでは、黒人混成バンドは普通の光景になっている。その後、......ボブ・キャッツ(Bob Cats)、ドーシー・クランベイク・セブン(Dorsey Clambake Seven)なども混成となった。ベニーグッドマンやボブ・キャッツは、伝統的な自由意思による即興演奏をするようになった。

(S)さて、スイング・バンドのコンボにとって、7という数はある種神聖な数字のようにみえるが、編曲にもこれが使用される。ビッグバンド全体において、個々のプレイヤーによる音楽創造のための柔軟性と可能性を与えるようにしたいからだ。7人編成による"Flying Home"の演奏で、そのことをみてみよう。

                ―― Flying Homeの演奏 ――

◆◆◆◆◆◆◆◆

*1.
  Gilbert Seldes(1983-1970)
    米国の作家、テレビ・ディレクター、文化評論家、ライブリー・アートの記録家、ペンシルベニア大学の Annenberg School for Communication(コミュニケーション大学院)を創設し初代学長を務めた(Wikipedia)。
 ライブリー・アート(lively arts)とは、 コミック、ボードビルなどの、いうならば、「大衆的芸能」のことである。

  John Hammond(1910-1987)
    米国のレコード・プロデューサー、音楽評論家。20世紀ポピュラー音楽に強い影響を与えた人物の一人。Benny Goodmanの生涯の友人であり(離合を繰り返したが)、Fretcher Henderson(*1) を紹介するなどしてバンド編成と運営に尽力し((1934、5)、人種隔離の掟に抗して黒人奏者の採用/活用を勧め(Teddy Wilsonその他)、17歳のBilly Holidayをハーレムで聴いて世に出し(1933)、地方都市バンド(カンサスシティ)にすぎなかったCount Basieをニューヨークに連れてきて全国に広めるなど した(Wikipedia)。バップ(bop)以降のジャズには、冷ややかに応じた。妹のAlice Hammondがグッドマンと結婚した(Wikipedia)。

*2.ここでは"Alis's Wonderland"と言っているので(視聴者に話を分かりやすくするためであろう)「不思議の国のアリス」としているが、「鏡を通り抜けて」云々は、"Through the Looking-Glass, and What Alice Found There "(1871)のことであり(「不思議の国のアリス」の続編で、日本では、「鏡の国のアリス」として出回っているようだ)、「ホワイトナイト」とは、その物語に現れる人物である。ハドックズ・アイズという歌の名前に関するアリスとホワイトナイトのやりとりについて、詳しい説明は省略するが(よく知っているわけではない)、「原曲は編曲によって大きく変わる」ということとの関係で引用していることである(上でリンク付けしている「鏡の国のアリス」のwikipedia記事を参照されたい)。
                  鏡を通り抜けるアリス(左)と、オワイトナイト(右)(wikipedia画像を合成)

*3.King Porter Stompは、Jelly Roll Morton(ジェリーロール・モートン)が作曲した曲である。1923年にピアノソロとして録音している(1924に著作権登録)。ジャズ発展史において重要な役割を果たした曲だとされる(wikipedia)。この伝説上の人物の本名は"Ferdinand Joseph LaMothe"だされるが(wikipedia)、"Jelly Roll"とは、「女性の外陰部」や「性交」を指すスラングである(Urban Dictionary)。
 なお、映画、「海の上のピアニスト」
(1998、イタリア)のwikipedia記事を参照されたい。
                  



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