2012年6月4日月曜日
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2012年6月3日日曜日
むかしむかしの川柳。
「貸本屋げだいばかりの学者なり」
「げだい」とは「外題」、つまり本の背表紙をいつもながめて商売している者は、内容はまったく知らないが、知ったかぶりの学者きどりであるという皮肉が込められている。貸本屋はいまは少なくなったが、図書館の司書とて、すべての本を読んでいるわけではあるまい。むしろ知ったかぶりでもいい。本のタイトルと著者と装丁を知っているだけましである。明日27日から11月9日まで読書週間がはじまる。2010年の標語は「気がつけば、もう降りる駅」。
ケペルは知ったかぶりを基調にしている。漫才師のリーガル天才・秀才といったところか。では「外題」だけ記す。
木内高音「建設列車」
藤森成吉「ピオの話」
石井桃子「ノンちゃん雲に乗る」
平塚武二「太陽よりも月よりも」
!doctype>2012年6月1日金曜日
S. 6
A.慨説Allgemeinesおよび形態学的なことMorphologisches
動物と植物は細胞Cellula, Zelleとよばれるところの,多くは顕微鏡の力をかりてやっと見ることができ,何れも相似た性質をもつところの基本単位から構成されている.
定義:細胞は生活物質の1つの塊であって,細胞核Zellkernと細胞体Zelleibとよりなり,この塊は形態の上からも機能の上からも生物体の基本的な単位とみなされるのである.
成長を遂げた生物体では同一の組織内の細胞は多くの場合たがいに数多くの突起で結合している.もっともこの突起の数が少ないこともある.また異なる組織に属する細胞相互のあいだにも融合があって,かくして高度の機能的全一性がえられる(例えば神経細胞と筋細胞もしくは上皮細胞とのあいだ).しかしこの事実は独立した単位であるという性質を個々の細胞からうばいさるものではない.(Heidenhain, Plasma und Zelle.1907-Boeke, Med. Klinik.1925.-Patzelt, Z. mikr.-anat. Forsch., 3. Bd.,1925)
細胞がもつ高い一般的な意義は次に述べる概括からわかるのである:
1. 植物および動物のからは細胞あるいは細胞のつくったものからできている;
2. 植物および動物の体は細胞から出発する.その細胞は卵細胞と精細胞とである;
3. 細胞は生活機能を担うものである.すなわち生命の単位Lebenseinheitである(ウィルヒョウR. Virchowの細胞病理学Cellularpathologie);
4. 生物の系統において最も低い位置にあるものは単細胞の生物(Unicellulaten, Protisten)である.それより高等な生物の体は細胞が集まってそれをなしている.すなわち多細胞生物(Multicellulaten)である.これに後生殖物Metaphytenと後生動物Metazoenとがある.
おのおのの細胞は細胞体Zelleibと核Zellkernとからなる.
細胞膜Zellmembranは細胞の本質的なものに属しない.植物の細胞(図1)ではじようぶなセルローズの膜で囲まれているから細胞膜という名前が適当であるが,動物の細胞では特別な膜を探し求めても多くのばあいむだである.そこでは普通は細胞体の最も表層のところが密になっているにすぎない.
むかしHermann Lotze(Allgem. Physiol. d. Körperlichen Lebens, Leipzig,1951)が疑問としたことが今日でもやはり大きい疑問としてあらわれてきている.それはわれわれの知る限りのあらゆる生命が形の上で細胞と結びついているか,あるいはその他の形で起こりうるのではないかということである.われわれの知るすべての生命が原形質と核物質に結ばれているということができる.最も小さい生物diekleinsten Lebewesenである細菌でさえも細胞体の性質を示す部分と核の性質を示す部分,つまり2つの成分をもつのである.だからわれわれは細菌を特別な種類の細胞(最小細胞Minimo-Cellulae)と考えなければならない.
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